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松倉城 (尾張国) : ミニ英和和英辞書
松倉城 (尾張国)[まつくらじょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [そう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 
: [くに]
 【名詞】 1. country 

松倉城 (尾張国) : ウィキペディア日本語版
松倉城 (尾張国)[まつくらじょう]
松倉城(まつくらじょう)は、尾張国葉栗郡美濃国羽栗郡(現・岐阜県各務原市)にあった戦国時代日本の城である。
== 歴史 ==
1532年天文元年)、富樫頼定犬山城主、織田白厳に仕え、尾張国葉栗郡松倉を領した際、築城する。このころ、頼定は坪内姓を名乗る。1548年(天文16年)に織田信秀により松倉城は強化される。
頼定の曾孫の坪内利定織田信長に仕え、信長の美濃国稲葉山城攻略のため蜂須賀正勝ら各地の有力者の協力を取り付けに奔走したが難航、木下藤吉郎の手助けがあった。
伝承によれば、1566年永禄9年)、木下藤吉郎による墨俣城築城の際、木曽山中より木材を流し、松倉にて陸揚げ、加工を施してから再び川に流し、墨俣に送るという、重要な役割を果たす。これが稲葉山城攻略の大きな手助けになったとされる。
信長の死後、坪内利定は羽柴秀吉と不和となり、1584年天正12年)の小牧・長久手の戦いでは徳川家康側につく。しかし、池田恒興の軍勢に攻められ、やむを得ず松倉城に自ら火を放ち金山城に身を隠す。暫くして徳川家康に仕え、再び松倉城に入る。
1600年慶長5年)、坪内利定は徳川家康の会津征伐に鉄砲隊を率いて参戦。関ヶ原の戦いでは東軍東海道本隊(徳川隊)に属し、鉄砲隊を率いて功績を挙げる。この功績により、美濃国羽栗郡、各務郡20村、6,500石を治める大身旗本となり、同年、拠点を松倉城から各務郡新加納の新加納陣屋したため、松倉城は廃城となる。
江戸時代にはこの地に榎の大木と祠があり、道しるべになっていたという。明治時代、この榎が枯れた跡に祠を建て直した。この時、戦国時代の坪内家の墓所も発掘され、新加納の少林寺の墓所に埋葬しなおされた。
なお、当該地域は戦国期には尾張国葉栗郡に所属しており、美濃国松倉城では誤りとなる。綿密には、当該地域が尾張国から美濃国になったのは安土桃山時代1585年(天正13年)であり、坪内家が関ヶ原の戦いの後に松倉から新加納に拠点を移したことで廃城と考えると、尾張国美濃国両方の時代があったと考えても良い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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